「大宮セブン」は、きっと私を成仏してくれるだろう。

「大宮セブン」というものをご存知だろうか。


大宮セブンとは、埼玉県さいたま市大宮区にある「大宮ラクーンよしもと劇場」を主な活動拠点としている吉本興行所属のお笑い芸人によるユニットである。


メンバーは、M-1グランプリ2020で優勝したマヂカルラブリーを筆頭に、囲碁将棋GAGタモンズすゑひろがりずジェラードンの6組である。
セブンなのに6組…?と思われるだろうが、これには深い理由がある。
もともとはボーイフレンドというコンビが7組目のメンバーであったのだ。
(ここの説明は今回は省かせていただく。。。)


パッと目につくような華のある芸人がいるわけではない。これといってバズったネタがあるわけではない。
全員が芸歴10年以上、これまで鳴かず飛ばずだった彼らは今、目を見張るような活躍を見せている。

どれくらいの活躍かというと、あのアメトーークにて「祝マヂカルラブリーM-1優勝記念!!大宮セブン〜不遇の劇場ユニット知ってます?〜」*1という企画が行われるくらいである。

彼らが出演するお笑いライブは軒並み完売し、チケットよしもと会員の先行抽選に申し込んでも外れてしまうことがある。
完売したライブのチケットは、定価よりも高値で取引されることさえあるらしい。
お笑いライブに足を運んだことがない方は、もしかしたらこれがどれほどすごいことか分からないかもしれない。


私は7.8年前、お笑いライブに頻繁に足を運んでいた。
その時のチケット入手方法は、公式サイトの「チケットよしもと」よりも「置きチケ」か「手売り」の方が多かった。

置きチケとは
そのライブの出演者に、Twitterなどで「〇〇(名前)で〇枚チケットを取り置いてください」とお願いをすることである。

手売りとは
そのライブの出演者がノルマとして何枚か買い取っている分のチケットを、直接購入することである。


上記2点の方法のメリットは、発券手数料がかからず、前売り料金でチケットを入手できることである。
デメリットは、チケットが手元に来るまで整理番号や座席が分からないことくらいだろうか。

(余談だが、お笑いライブに頻繁に通うファンは、前方の席に座ることを避ける人が多いと思う。
持論だが、そもそもキャパが狭い会場が多いため後ろの方でもよく見えるし、どのライブにも来ていると思われるのが恥ずかしいからではないだろうか。
私も例外ではなく、後ろの整理番号が購入できるようにわざと公演直前にチケットを購入することもあった。
アイドルのコンサートなどでは、お目当ての人が見やすい座席に追加でお金を出して交換してもらう取引が行われると聞くが、
そのようなことはお笑いライブではほぼなかったのではないだろうか。)


長々と書き連ねてしまったが、伝えたかったことをひとことで言うと、
「今の大宮セブンの人気はすごい」
ということだ。


しかし、大宮セブンの歴史は、現行メンバーの6組から始まったわけではない。


2014年7月7日、大宮ラクーンよしもと劇場がオープンした。

(またまた余談だが、よしもとが突如大宮と幕張に劇場を作ると発表した時は愕然とした。
「なぜ大宮?なぜ幕張?なぜチケット代1,500円のお笑いライブに、チケットと同じくらいの交通費をかけて行かなければならないのか?」と。
それまでといえば、よしもとの若手芸人は無限大ホール*2・神保町花月*3シアターD*4などの都内の劇場を中心に活動しており、非常にライブに通いやすい環境であったから、なおさら不信感が募ったのだ。)
(それでも結局好きな芸人さんのライブには行ってしまうのだが。。。)


そこでお披露目された初代大宮セブンのメンバーは下記である。


サカイスト(のちに福岡吉本に移籍)
・犬の心(のちに解散)
・ブロードキャスト!!
えんにち(のちに解散)
GAG少年楽団(のちにGAGに改名)
マヂカルラブリー
・タモンズ
山田菜々


驚いた方も多いのではないだろうか?
現行メンバーはGAGマヂカルラブリー、タモンズしかいないし、そもそも山田菜々さんは芸人ではない。
結成した際の正直な感想を申し上げると、「よしもと、やはり血迷っているな」である。


だが、納得もしていた。
サカイスト、犬の心、ブロードキャスト!!はいずれも昔から非常に人気が高いイメージがあった。
(アダチャイルズやおしゃれが止まらないデンペーコレクションなど、懐かしいですね。。。)


しかし、人気があるにも関わらず活動できる劇場が少なかった。
よしもとでは、芸歴が長くなると渋谷の無限大ホール(若手芸人が中心)を卒業し、新宿のルミネtheよしもとに出演する機会が増える。
ルミネのキャパは400を越えている。これは普通のお笑いライブには非常に厳しい数である。
ちょっとしたコーナーライブやユニットライブをやるような劇場は全く足りていなかったのだ。
そこで、根強いファンが多いこの3組の選出は納得であった。実際にファンも大宮まで着いてきている印象があった。


GAGは、東京進出をしたが芸歴により無限大ホールには出られなくなり大宮へ行くという流れだったと記憶している。
(今では地味だなんだと言われているが、大阪ではすごく人気があるし、実力も兼ね揃えているのだ。)


失礼を承知で言うが、「よく選ばれたな…」と思ってしまったのが、えんにちマヂカルラブリー、タモンズだ。


えんにちは、THE MANZAIの認定漫才師に選ばれる実力派の漫才師だった。
極道の格好をしているアイパー滝沢さんは、地上波のテレビで見かけることもあった。


マヂカルラブリーも、THE MANZAI認定漫才師*5だ。
M-1を獲った今と変わらないスタイルの漫才を貫いていたのだが、当時は地上波のテレビで見かけることはほぼなかった。
野田さんは今よりも華奢で、寡黙で、熱い姿を見かけることは少なかった。
(その頃SNSを全くしていなかった野田さんは、時代ハズレとも言える魔法のiらんどにてブログを書いていたのだが、それがはちゃめちゃに面白かった。おすすめである。)


タモンズTHE MANZAI認定漫才師であったが、地上波のテレビで見かけたことはほぼなかった。


彼ら3組は実力派漫才師ではあったが、主観だが「固定ファン」というものは少なかったように思う。
いつだって絶対に面白かったのに、もともと活動の拠点であった無限大ホールでは、彼らがメインのライブが行われることは少なかったからだ。
1番のお目当てではないが、行くライブの出演者に名前があったら嬉しいという人が多かったのではないだろうか。
そんな彼らが、いわば劇場の「顔」として活動することに驚いてしまったのだ。


大宮セブンはそこから何年か初期メンバーで活動を続けたが、解散や移籍などがありバラバラになっていった。
えんにちは解散してしまった。


暫くして新メンバーとして囲碁将棋すゑひろがりずの加入が発表された。


囲碁将棋THE MANZAIM-1の決勝に出たこともある超実力派漫才師だ。人気もありファンも多かった。
神奈川県住みます芸人のイメージが強いため大宮セブンに加入と言われると違和感もあったが、タモンズの兄弟子というイメージも強く、納得であった。


驚いたのはすゑひろがりずだ。
私が彼らを知ったのは、前コンビ名の「みなみのしま」時代だ。
大阪から東京に出てきたばかりの彼らのネタを、客がほとんどいない夕方のルミネtheよしもとで見たことを今でも覚えている。
今ではお馴染みとなった狂言のネタを始めたばかりの頃だったようだ。
「こんなにも面白いのに埋もれてしまう人がまだいたのか」と思った。
そこから特にめざましい活躍しているというイメージはなかったが、純粋に面白い人たちが認められていることが嬉しかった。
だがその後、すゑひろがりずがいると客が減ってしまうということで、「客べらし」と呼ばれてしまうことになる。。。


更に暫くして、ジェラードンボーイフレンドの加入が発表された。


驚いた。
私の記憶の中では、ジェラードンもボーイフレンドも無限大ホールでキラキラ輝いている若手芸人というイメージだったからだ。


これについては後述するが、私は東京NSC9期生〜11期生の世代が1番好きだ。
分かりやすく言うと、6.5世代の芸人たちだ。
ジェラードンは12期生、ボーイフレンドは13期生であり、大宮セブンのメンバーが渋谷の無限大ホールを卒業したあとも無限大で活動を続けていた。
そんな彼らも芸歴を重ねて無限大を卒業し、大宮へと来たのだった。
大宮セブンに少し華が増えたな、と思った。


さっきから失礼なことばかり書いているが、怒らないで読み続けていただけたら嬉しい。
私は大宮セブンのことが大好きだ。
現メンバーが出演していたライブには数え切れないほど足を運んだ。
その中でも特にタモンズが好きだった。大好きだ。本当だ。




突然だが、ここから長い長い自分語りを始めようと思う。
他人の自分語りなど読むに耐えない内容だと思うが、ここはブログなので許していただきたい。


2012年頃、私はテレビ朝日で放送していた「333(トリオさん)」*6という番組に熱狂していた。
メンバーはジューシーズ(現サルゴリラ)、パンサー、ジャングルポケットである。

(TBSで放送していた「パワー☆プリン」*7という番組にも熱狂していた。メンバーは2700、パンサー、チョコレートプラネット、ジャングルポケット、スパイク、横澤夏子田中涼子である。今思えばすごいメンバーだ。。。)


この3組のトリオをきっかけに、私はお笑いライブの世界へと足を踏み入れた。


お笑いライブは、単独ライブでもない限りお目当ての芸人だけを見られるという機会はほぼ無い。
トリオさんメンバーを目当てに行ったライブでは、同じくらいの世代の知らない芸人がたくさん出演していた。
そこにいたのが大宮セブンの彼らだった。
私はどんどん沼に落ちていった。


これは、ジャニーズ然りきっと同じなのではないだろうか…?
嵐のコンサートを見に行ったつもりが、気づいたらそのバックで踊っているジャニーズJr.を好きになってしまうようなものなのだ。


その頃、よしもとの若手芸人の中で新しいランキングライブが始まろうとしていた。
東京の「彩(いろどり)ライブ」大阪の「煌(きらめき)ライブ」というものだ。


最初に東京大阪ともにTOP3組をピラミッドの頂点として選出し、
それに続く上位メンバー15組、その次の30組、さらにその次の…と続き、3ヶ月に1回入れ替え戦が行われるという形だったと思う。
うろ覚えな部分もある。。。


東京の初代TOPはジューシーズ、シソンヌ、ジャングルポケット
大阪の初代TOPは天竺鼠かまいたちGAG少年楽団であった。


私はそこで、とあるコンビを好きになる。


既に解散済みのためコンビ名は伏せるが、彼らは贔屓目に見ても人気があるとは言い難かった。
しかし、漫才がとにかく面白く、はちゃめちゃでがむしゃらで、上位15組になんとか入り続けていた。
毎回2番手グループとの入れ替え戦に出てしまうのだが、なんとか上位をキープし続けていて、もはや盲目な私はそんな姿もかっこよく見えて好きで好きで仕方がなかった。


ちなみに、その頃2番手のグループにはマヂカルラブリー、チョコレートプラネット、タモンズ、相席スタートベイビーギャング(現EXITのりんたろー。が所属)などがいた。

(またまたまた余談だが、よしもとの若手ライブでは客票がかなり大切だ。
私が通っていた頃はパンサーの大ブレイク時代だ。
彼らの人気は絶大で、大体いつも客票1位を獲得していた。
人気ばかりでネタを見てもらえない状況を気に病み、向井さんはTwitterの裏アカを開設したり、それをチョコレートプラネット長田さんが励ましたりと、まあこちらでも見逃せないドラマが繰り広げられていた。)
(大体いつも客票下位はトレンディンジェル、インポッシブル、私が好きだったコンビが独占していた。女性人気が大事な世界なのだ。。。)


2014年2月から3月にかけて、それまで無限大ホールを中心に活動していた東京NSC9期生〜11期生が無限大ホールから卒業していった。


2014年2月23日、タモンズと私が好きだったコンビが合同で無限大ホール卒業公演を行なった。


無限大ホールのキャパは250を越えるが、客は100人程度だった。
悔しかったがそれでも感動した。
普段は20-30人いれば多い方だったからだ。
出演者の人数が客よりも多かったこともあった。


卒業公演だというのに、ネタもトークもいつも通りのライブだった。
そういう変わらないスタンスがすごく好きだった。
誰よりも面白い2組だった。
本気で2組一緒にTHE MANZAI決勝に行ける!と思っていた。


時を同じくして、東京NSC6期生前後の芸人の解散が続出した。


特に衝撃を受けたのが、ミルククラウンロシアンモンキー、アームストロング(のちにピン芸人となった安村さんは「とにかく明るい安村」として大ブレイクする。)、マキシマムパーパーサムの解散だ。


どのコンビも現大宮セブンメンバーが出演するライブではネタでもMCでも会場を沸かせる間違いなく実力のある人たちであった。
この頃から私はお笑いの世界の厳しさを知ることになる。


ITIライブにもよく行っていた。
ITIとは、囲碁将棋、タモンズ、井下好井からなるユニットであり、それぞれのコンビ名の頭文字をとっている。
この3組はゴリゴリの漫才師集団だ。
兄弟子である囲碁将棋に追随する同期のタモンズと井下好井というような構図だ。


本人たちにはそんな意識はなかったかもしれないが、女子ウケを狙わず真正面から漫才を続ける姿が非常にかっこよく見えた。
本当に面白い人たちなのだ。
一方で、彼らは神保町花月にて「奇抜探偵シリーズ」というお芝居もよくやっていた。
これも好きだった。


彼らのうちの何人かは、神奈川県川崎市にある「通称・鷺沼ハウス」にてルームシェアをしていた。
ここの住人たちで行っていたライブが「鷺沼生活向上委員会」だ。


各コンビ1ネタをやったのち、彼らの日々の生活をひたすら語るライブで、たわいもない話をしているのにどうしてこんなにも面白いのか?どうしてこんなにも面白いのに誰も売れていないのか?とよく疑問に思っていた。

(うるさいくらいの余談だが、この頃は芸人たちのルームシェアが熱かった。
「通称・幡ヶ谷ハウス」では、シソンヌのじろう、チョコレートプラネットの松尾、ジャングルポケットの太田、既に引退済みの芸人さんの4人がそれはそれは楽しそうな日々を送っており、こちらでも色々なドラマが繰り広げられていた。)




今でも忘れられない出来事がある。


2016年の初めに鷺沼ハウスが解散した。
長く続いていたシェアハウスだったが、ついに解散となった。
寂しかったが、芸歴的にも年齢的にもそろそろだろうなと思っていたためすんなりと受け入れることができた。


同じ時期、鷺沼ハウスの住人のとある芸人さんが引退を発表した。
囲碁将棋の同期で2人の親友のような人だったと記憶している。
タモンズの大波さんも含め、いつも楽しそうな生活を「通称・神奈川配信*8にて拝見していた。


鷺沼ハウスの長である囲碁将棋文田さんは、その芸人さんが引退ライブで最後のネタを披露する際、舞台袖で人目も憚らず大号泣していた。
そんな姿を見て客たちも感動していた。


鷺沼ハウスの住人でもないのにいつも入り浸っていた囲碁将棋根建さんは、その芸人さんと「内容」と言うコンビを組んで、お揃いのFILAのTシャツを着てネタを披露した。
あんなに涙を流して笑った経験はなかった。


その芸人さんの引退のために、舞台から溢れるくらいの芸人たちが集結した。
出演者欄に名前のなかった人もたくさん集まってきていた。
ボケまくりの鷺沼メンバーにいつもツッコミを入れている、みんなに愛されている人だった。


そんな芸人さんの引退ライブにて、ひっそりと解散したのが前述した私が1番好きだったコンビだ。


特に解散ライブも行わず、他人の引退ライブで解散をした。
そんなコンビはあんまいないと思う。
最後まで幼稚系で汚くて、1番面白い漫才だった。


これが2016年3月31日の出来事だ。
私のお笑いファンの人生の中で、最も悲しくて最も笑った日である。




私は、あの刺激的でキラキラした日々を忘れることができない。
今でも思い出すと感傷的になってしまうくらいに。
もう2度と戻れないと分かっていても戻りたくて仕方ないくらいに。


だって大好きだったから。
客が5人しかいなくても、どんなにボロボロな劇場でも、ファミリーマートの一角でもいい。
またあの日々に戻りたい、でも戻れない。


私は「あの頃」に取り憑かれた亡霊のようになっていた。




そんな頃、チョコレートプラネットが思わぬ形で大ブレイクを果たす。

チョコレートプラネットは、何度もキングオブコント決勝に出場した超実力派コント師であり、ネタの面白さで人気を博していた。
そんな彼らがモノマネがきっかけでブレイクを果たすとは夢にも思っていなかった。

(チョコレートプラネットと聞くと、どうしても語らずにはいられないのがキングオブコント2014決勝だ。
最後にはチョコレートプラネットとシソンヌという同期2組が残っていた。
彼ら2組は合同で「チョコンヌ」というコントライブを何度も行なっていたし、前述の通りチョコレートプラネットの松尾とシソンヌのじろうはルームシェアもしていた。
間違いなく戦友である。
渋谷の地下で何度も見てきた彼らのどちらかが優勝という場面を、テレビの前で固唾を呑んで見つめていた。
優勝したのはシソンヌだった。
放送終了後、シソンヌのじろう、チョコレートプラネットの松尾、パンサーの向井の3人で「11(彼らは東京NSC11期生である。)」のポーズをして撮った写真をTwitterで見た時は涙が出た。
そこから数年後のブレイクだった。)


地上波でパンサー、シソンヌ、チョコレートプラネット、ジャングルポケットなどが活躍している姿を見るたびに、驚きと誇らしさ、少しの羨ましさを感じた。
世間は今更気がついたのか、どうしてもっと早く気づいてくれなかったのか、と思った。


またある日、なんとなくTwitterのトレンド欄を眺めていると「大宮セブン」という文字が目に入った。
これは私の知っている大宮セブンなのか?と目を疑った。
だって彼らはブレイクするはずもない、そう思っていた人たちだ。
間違いなく面白いのに日の目を浴びることができない人たち、そう思っていた。


だが、異変の兆候はあったのだ。
R-1グランプリ2020決勝、最後の3人に残ったのがマヂカルラブリー野田」「すゑひろがりず南條」「大谷健太」であった。
信じられなかった。
ここは6.7年前の渋谷シアターDなのか?思った。


快進撃は止まらない。
水曜日のダウンタウンで新元号を当てる企画では「ななまがり」が爪痕を残していた。
信じられなかった。


すゑひろがりずやななまがりは、私が熱狂していた頃には最下層のランクで踏ん張っていたようなコンビだ。
しかも、すゑひろがりずは自粛期間に始めたYouTubeのあつ森企画で絶大な人気を得ているようだった。


第7世代が大ブレイクする中で、彼らのような6.5世代が、もしかしたら時代を変えるのかもしれないと思った。


あの頃踏ん張れなかった彼らは、解散していった彼らは、今をどう思っているのだろう。
どうしても贔屓目に見てしまう私は、「もっと頑張ってくれれば絶対に売れたのに」と思ってしまう。

だが、あそこで踏ん張れなかった彼らだから、きっと売れないままだったのだろう。
きっとそうだ、そう思う。
だってお笑いは厳しい世界なのだから。
でも、それでも、と思ってしまうのだ。


2021年5月3日、さいたまスーパーアリーナで行われた「ビバラロック」というフェスで、大宮セブンが舞台に立った。

彼らの戦場ではない、普段の劇場とは比べ物にもならない大きな場所で、彼らは歓声を浴びていた。
タモンズはその中では知名度が低かったのではないかと思う。
それでも、あの頃には考えられなかったような場所で、あの頃と変わらない漫才で、涙が出てきてしまうほど輝いていた。


なんて世界なのだろう。
この気持ちを言葉にすることができない。
できそうにない。


だが、この先もきっと予想もできないような形で彼らは世に出ていくのかもしれない。
もしかしたら近い将来、地上波のゴールデン番組で当たり前のように見られる日が来るのかもしれない。


その日もTwitterのトレンド欄には「大宮セブン」の文字があった。


もしかしたら私は、「あの頃」の亡霊である私は、大宮セブンの活躍によってようやく成仏できるのかもしれない。
いや、もう既に成仏されかけているのかもしれない。


私はもう足繁くお笑いライブに通うことはないだろう。
だが、心の中ではいつだって彼らを応援している。
彼らが売れていくことを願っている。


わがままを言っていいのならば、「あの頃」があったこと、売れっ子と一緒のライブのステージの隅で不貞腐れるような日々があったこと、歌舞伎町のファミリーマートの隅で毎日お笑いライブをしていたこと、そんな彼らを応援していた人たちがいたこと、それを無かったことにしないでほしい。
それだけだ。


私は、週に何度もお笑いライブに通っていたあの頃が人生で最も楽しかった。
その事を忘れることはない。


大宮セブンの活躍を見るたびに、こんなことをいつもいつも頭の中で考えている。
いつになったら私は成仏できるのだろうか。
でも、きっとその日は近いのだろう。



*1:2021年2月18日放送。

*2:渋谷宇田川町の地下にある劇場。若手芸人の活動の拠点である。

*3:神保町にあるお芝居公演が多い劇場だったが、現在は「神保町よしもと漫才劇場」としてリニューアルしている。

*4:渋谷公園通りにある狭い劇場。客が自分でパイプ椅子を並べて着席することも多かった。2016年に閉館。

*5:THE MANZAIでは、毎年準決勝進出者の50組を認定漫才師と呼んでいた。

*6:テレビ朝日系列にて2010年10月31日~2015年9月27日まで放送されたバラエティ番組。お酒を飲んで本音を語り合う企画にて、ジューシーズ児玉に「お前はコンパ友達」「腹を割ってくれてない」と言われたパンサー向井が「俺腹割ってるもん」と泥酔大号泣した回は大きな話題となり、限定で「俺腹割ってるもんTシャツ」が製作された。ちなみに、四千等身の後藤はそのTシャツを持っている。

*7:TBSテレビにて2011年10月13日~2013年8月31日まで放送されたコント番組。

*8:かつて住みます芸人は活動の一環としてUstreamの生放送を行っていた。